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懐古厨のチラシの裏

オタクが心の実家をなくした話

 自分は熱しやすく冷めやすいタイプのオタクで、これまであちこちの沼を渡り歩いてきました。
 冷めても別に嫌いになったわけではないので、ふとしたタイミングに再燃したり、別角度でハマりなおしたりするのですが、割と頻繁に新しい沼を開拓してのめりこんで、また落ち着いて、古い沼に戻ったり、次の沼に飛び込んだり、というようなことを若いころから繰り返してきました。
 この記事はその沼の原点の話です。

 

 私は幼稚園のころに光GENJIというアイドルが好きで、リビングの壁にポスターを貼っていた思い出があるのですが、小学校高学年になってクラスの女子が剛派と光一派で真っ二つだったころにはTOKIOが好きで   あ、ちなみに剛派だったけど銀狼怪奇ファイルという光一主演のドラマが大好きでVHSを揃えた思い出があります。それはさておき、   なんだかんだ、ジャニーズ事務所に「ファンになる」「推す」という英才教育を受けてきたよくいる小中学生のひとりでした。


 そんな自分は1999年の春、そこから22年も推すことになる担当に出会います。
 彼の名前は岡田准一
 V6というアイドルグループの最年少メンバーで当時18歳。
 高校をその春卒業したばかりの、まだまだ関西弁のお調子者キャラで、初めて認識したとき彼は冠バラエティ「学校へ行こう!」のコーナー企画で真っ赤なパンツに黄色いシャツを着て竹馬に乗ってTBSの周りを走るというちょっとよく分からないチャレンジをしていました。
 TOKIOやデビュー前のKinKi Kidsは好きだったのに、同時期にデビューして活躍していたV6をなぜ認識していなかったのかもうよく覚えていないのですが   そもそも銀狼怪奇ファイル見てたなら少なくとも二人は出てたんだけど   とにかくそのとき初めてV6というグループをちゃんと見て、自分は生まれて初めて「担当」を持つことになります。


 「担当」というのをジャニーズ界隈以外であまり聞かないかもしれないので一応説明しておくと、意味は「推し」とほぼ同じです。ジャニーズの中で、あるいはグループの中で、自分がファンを担当しているのはこの人、というような意味で自分は使っています。たぶんあってると思う。
 イチ推しのことは「自担」と呼びます。自分の担当の略です。
 この記事の中で「自担」といったら岡田准一のことです。
 これが前提で話が進みますので覚えておいてもらえると助かります。

 


 さて、ここからが本題です。
 自担の所属するアイドルグループV6は今年2021年3月、同年11月1日をもって解散することを発表しました。


 衝撃です。
 びっくりしました。


 正直、最初にも書いたとおり、自分はあちこちの沼を渡り歩く女です。
 22年推してるといったって、ずっと熱心に張り付いていたわけじゃないです。
 特に自担が映画を主力にするようになってからは、映画のジャンルによっては見に行かなかったり、CDを発売日に買ってもなかなか聞かなかったり、一番離れていたときはCDもDVDも買わないしコンサートにも行かない、ファンクラブもやめてしまったこともあります。
 そんな不誠実なオタクが言うのもなんですが、勝手にV6はずっと続いていくものだと思っていたので。
 意味が分からなさ過ぎて涙も出ませんでした。


 本当に不思議なくらい、V6解散の実感が湧かないまま、春が過ぎて、夏が来て。
 ラストツアーが決まって。
 自分は運よく宮城公演が当たって、大阪からはるばる宮城へ最後の遠征に行って、最後のコンサートに入って、帰ってきて、この記事を書いています。


 ラストツアーの内容についてはまだツアー中なので書きませんが、一曲目からずっと泣いてたことだけは記しておこうと思います。泣いてばっかりだったけど楽しかったよ。本当に。
 あんなに素敵なパフォーマンスをする6人がもう見れないなんて、ユニットとして残るトニセンはともかく、カミセンの三人はこうしてコンサートをすることも、歌うことも、踊ることも、もうないなんて、いまも信じられない。
 森田さんの全身でリズムに乗っているステップ踏むみたいな歩き方も、担当以外も軒並み撃ち落とす三宅さんの必殺の神ファンサも、歌いだすと途端に甘くなる自担の声も、全部大好きでした。
 本当にもう見れないの?
 もう聞けないの?


 もっと見ていたかったです。もっと聞いていたかった。
 書いてて涙出そう。


 ただ、「離れても」とか「そばにいなくても」みたいな別離に対してそれでも「ずっと」「いつも」といった永遠性、恒常性のある表現は逆につらかったな。優しい嘘をつかせてるみたいで。いや、本当にそう思ってくれる部分もあるんだろうけど、アイドルでなくなる人たちに対して、この先もアイドル的な思いを約束させるみたいで、できないくせに、ありがとう、って思ったらまた泣いた。(ネタバレに感じる方もいるかもしれないので白字)


 曲のひとつひとつに思い出があって、一曲聞くたびに人生振り返って思い出して泣いて、一緒に歌うことができない状況が悔しくてまたまた泣いて。言っても仕方ないことだけど、こんな状況じゃなかったら、最後の花道を行く6人にオタクができることがもっとあったんじゃないかって思うと本当に悔しいし寂しい。せめて歓声の中で送り出してあげたかった。涙で声、出なかったかもしれないけど。

 

 で、コンサート中に死ぬほど泣いて、泣いて、泣いて、もう次泣くのはV6最後の日だなって思いながら宮城から大阪に戻ってきて、地元の駅について、家までの道をキャリー引き摺りながら歩いて、道の向こうに自分の家が見えた瞬間、もうしばらくは枯れてるなって思ってた涙がまた出てきたんですよ。


 そのとき、あぁ、自分はオタク人生における「帰る家」をもう失うんだな、と思ったんです。

 

 22年もあれば学校も卒業するし就職もする、ストレス溜めて退職するし、転職して新しい仕事についたりします。環境が変われば心も変わります。誰かを推す気力もないときもあったし、そもそも三次元の、生の人間を推すって、結構大変なことです。ビジュアルは日に日に変わって、自分の好みに合わないこともあるし、そういう発言はしてほしくなかったな、ということを雑誌やテレビで見聞きしたりします。
 当たり前です。
 生身の人間ですから、自分の好きな、思うような相手のままであるはずがないです。
 だけど、押し付けているつもりはなくとも、こういう人なんじゃないのかな、こういう人であったらいいのにな、あるいはもっと単純に、髪はもっと長いほうが好きだな、体ちょっと絞らないかな、などと思ってはしまうもので、その理想像と違う自担を見るとちょっぴり寂しくなったりします。自分の理想を滅多に裏切らない非現実の推しを推すほうが楽かなって思うこともあります。
 なので、離れてしまった時期はこのまま自担を卒業(ファンを辞めることをジャニーズのオタクは卒業する、と表現します)かなぁなんて思っていました。
 オタク自体やめて、もっとリアルを充実させる努力をしようかなと思ったり、やっぱりオタクはやめられないなって思ったり、でも三次元はしんどいからもう二次元に生きようとか。


 とはいえ、やっぱり戻っちゃうんですね。


 2013年ぐらいから徐々にまた自担の動向を気にするようになり、年末の「永遠の0」で完全に出戻り。8回見に行った。めっちゃよかった。
 翌年から始まった大河も毎週欠かさず全部見て、ファンクラブに入りなおし、離れていた時期に買いそびれたCDやDVDを大人買い。そしてV6は20周年記念イヤーに突入して自分も周りのファンも大盛り上がり。めっちゃ楽しかった。アニバコン(アニバーサリーコンサートの略。ここでは2015年のツアーのことを指す)は2回入って2回とも号泣。未だにBlu-ray見て泣く。リボンシャワーはずるい。
 自担も自分も年を重ねて無駄に夢を見なくなって、V6としてきちんと向き合ってくれている気がして、自担の行く道が自分の好きな方向と違っても寂しくなくなって、自担が幸せに生きているならそれでいいや、という悟りの境地に差し掛かって、めちゃくちゃ心穏やかに幸せだけ摂取できてました。
 自担がクリスマスプレゼント代わりに結婚報告してきたときも、別にショックもなにもなかった。嬉しいとも思わなかったけど、年齢も年齢だしそりゃするよね、という感じで、幸せになれよ、と思ってた。
 怖いものなんにもなかった。
 メンバー6人のうち4人が既婚者になって、そういうアイドルのかたちもおおむね世間に好意的に受け入れられて、あぁ、こういう感じで行くんだ、と思ってました。


 若手のアイドルのように新曲だコンサートだって活発な動きはなくたって、年に一度はシングル出して、二、三年に一度はアルバム出して、そしたらコンサートツアーもやって、ゴールデンの冠はないけど、深夜に細く長く続いてる番組があって、滅多にフルメンバー揃わないけど、CDが出たら特典映像でわちゃわちゃしてるのが見れて、そうやって続いていくんだと思ってました。
 なんならシングルが毎年出なくて、アルバムが何年も出なくて、コンサートのお知らせが来なくて、グループとしてのレギュラー番組が全部なくなっても、それでもV6というグループがあればそれでよかった。


 推しって概念だから、存在していることに意味があって、できればオタクは定期的にお布施がしたいけど、する機会がないなら我慢するので、ただそこに在ってほしいものじゃないですか。
 オタクじゃない人類から見れば、なんの活動もしていないグループ、解散してるも同然じゃない?って思うかもしれないけれど、全然違うので。「活動していないけど在る」と「活動しないので解散」は絶対越えられない壁で隔てられてる。

 

 話がとっ散らかってきましたが、要するに、自分にとって初めての沼は、V6というアイドルは、自分がどこに行っても、どれだけ長く離れていても、必ずそこに在って帰ってこられる「実家」だったわけです。
 大好きになって、いやになって、期待して、失望して、勝手に傷付いて疲れて出て行って、それなのに何年かたってふらりと戻ってくるとまた幸せな気持ちをくれる。そういう存在だったんですよね。
 自分はこれからもあちこちの沼にふらっと出かけて、でも何かあればいつでも「ただいま」ってこの沼に帰ってくるつもりだった。当たり前に帰ってこられると思ってたんですよ。


 それがなくなっちゃうんだって。


 帰ってくる沼がなくなったところで、自分はやっぱり新しい沼に突っ込んでいくし、これまで浸かった沼に戻ったりもして、それなりに楽しくオタクライフを満喫して死ぬまでオタクなんですよ。たぶん。
 ただ、自分というオタクが生まれた実家の沼は、ゆっくりと、確実に乾いていくんだなって。
 形が消えたって心の中には残る。
 でも、形としてなくなることで消えていくものもある。
 新しいものは何も生まれない。
 それが、とっても寂しい。
 書いてて泣けてきた。

 

 思い返せば、人生初のオタク友達はV6でできました。
 22年前、世の中はまだインターネットが普及しだしたころで、SNSもなく、mixiすらサービス開始前です。Wi-Fiなんて言葉はなかった。インターネットは有線でつなぐもの。ISDNならなんとインターネットつなぎながら電話がかけられます。
 ファンの交流は個人サイトのBBSが主流でした。
 BBSって分かりますかね、掲示板とも言います。いわゆる2chのようなやつですね。ああいうのを個人サイトに置いて、サイトの訪問者が書き込みをして、サイトの管理者、あるいは別の訪問者がそれにレスをつけたりして交流していました。
 オタ友第1号も、自分が日参していた個人サイトの管理人さん。
 大阪では売ってない雑誌を送ってもらったり、自分が担当になる前や、大阪で放送していないテレビ番組をダビングしてもらったり、自分が個人ファンサイトを作るのに作り方を教えてもらったり、誕生日にプレゼントを贈り合ったり。
 同じ人を応援して、語り合って、一緒に盛り上がる楽しさを、初めて知りました。


 余談ですが、このころオタ友と繋がるためにはパソコンを使うしかなくて、チャットをするためにブラインドタッチできるようになったり、個人サイトを作るのにHTMLを覚えて、プログラムの勉強をしてみたり、この時代に培ったものって結構あります。


 初めての遠征もV6のコンサートに入るためでした。
 同じ関西圏に住んでいる年上のオタ友に交通機関の手配を全部やってもらって、前述のオタ友第1号の彼女の家に泊めてもらって、初回は全部おんぶにだっこ、ついていくだけの遠征でした。代々木でコンサートがあったんですけど、会場までの移動も全部友達が案内してくれて。
 他のオタ友を紹介してもらって、自作の名刺を交換して(今では信じられないことですが、HNやメアドだけじゃなく、本名に住所、電話番号も全部書いて、裏に自担のお気に入りの写真を貼ったりして作った名刺を交換するのが流行ってたんです)、大人数で焼肉食べたの、今も覚えています。まだお酒も飲めない歳でした。


 次の年には自分で新幹線の切符を手配して、ひとりで遠征もしました。
 初めてひとりで乗った新幹線、一睡もできなかった。緊張して。いまとなっては東京なんてちょっと行ってくるくらいの感覚だけど、当時は大冒険みたいなものでした。


 逆にオタ友が大阪に遠征してくれば、家に泊まってもらったりもしました。
 お好み焼き屋さんに連れてってほしいと言われ、外でお好み焼き食べたことなかったから慌ててお店探したなぁ。大阪人はお好み焼きは家で食べるよ。

 

 当時はツアーをやれば複数回入るのは当たり前で、大阪で3daysやれば3回見るし、昼夜やるなら昼も夜も見る。代々木で2週間くらいやったときは遠征に行ってる間毎日代々木に通ってたくらいで、会場に行けばだいたいオタ友も来てた。それで「また明日~」って別れるのが普通だった。


 時が経って、自分は離れていたこともあって、当時の友達とはもうほとんど繋がっていません。
 公演数も減って、コンサートのチケットも取りづらくなって、ツアーに1回、運が良ければ2回、入れるかどうかくらいになって、会場に行っても知り合いにばったり会うことももうありません。
 でも、いまのツアーが終わったら、来月になったら、「また明日」って言えないだけじゃなくて、「明日」がそもそもないんだなぁと思うとまた泣けてくる。

 


 たくさんの「初めて」を、「思い出」を、作るきっかけになってくれたV6には本当に感謝しかないです。
 きっと世の中には自分よりも長く、もっと熱心に、応援してきたファンがたくさんいるから、古参面するつもりは毛頭ないんですけど、でも自担に出会ってから22年も経ったんだなぁ。本人たちも言ってたけど、全然あっという間じゃなかった。めちゃめちゃ長い時間だった。ちょっと振り返っただけで山ほど思い出すよ。

 


 自分は外側から見ることしかできない、しかもよくよそ見をしてきた浮気者のオタクなので、内側でどんなことがあったのかはわかりません。
 天国でデビュー曲踊ろうぜって言ったくせに、ツーステップしか踏めなくなって、左右に揺れるぐらいしかできなくなっても踊ってようって言ったくせに、そのうち客席がほとんど親子席になっちゃうかもねって笑ってたくせに、20周年の次は30周年、40周年だって言ったくせに、なんで辞めちゃうのって実はいまも思うけど。


 だけど26年という長きに渡って、オタクのクソデカ感情にこたえようとしてくれて、寄り添おうとしてくれて、きっと色んなことを我慢して、傷付いても歯を食いしばって、笑顔でいようとしてくれてたんじゃないかなって思ってるから。
 自担が「V6は母船みたいなもので、いつかは巣立っていくもの」って言ったとき、この人の中では、数年後の未来でさえV6というアイドルグループが今のままのかたちであるということはないんだ、と感じて落ち込んだりもしたけど、それでも今日まで勝手に巣立たず6人のまま、歩いてきてくれたから。


 いまさら6人が、彼が、自分のこと、グループのこと、ファンのこと、簡単に決めてしまったとは思わない。
 絶対、すごく考えて、たくさん考えて、他にはない、これが行く道だって決断したんだと思うから。
 これからも変わらずに応援します。


 オタクは勝手に立ち止まって泣いて、振り返って泣いて、惜しんで泣いて、寂しがって泣くけど、そういう生き物だと思って許してほしい。
 置いて行かれる前にちゃんとついていくから、後ろは振り返らずに、どんどん進んでいってほしい。

 


 自担が若いころ、よく読んだ本の話をしてた。
 「人が死ぬとき、自分の名前を憶えている人が5人いれば、それだけで生きてきた価値がある」というフレーズを読んで、自分にはもう5人、いるなって思ったと。
 ジャニーさんが6人組にしてくれてよかった。
 5人組でも、7人組でもなくて、6人だったから、自担のほかに5人、自担の名前を自担が死ぬまで憶えていてくれる人がいる。自担の人生に価値があることを証明してくれる。
 いや、普通に考えて自担の名前を憶えてる人が5人しかいないわけはないんだけど、自担の生きてきた価値がないわけがないんだけど、そうじゃなくて、絶対自分のことを憶えててくれるって、自身の生の価値を証明してもらえるって、自担が無条件に信じられる5人と出会えてるってことが奇跡みたいに素晴らしいことだなと思うわけです。


 本当は死ぬまで形あるままでいてほしかったけど、死んでも残っててほしかったけど。
 それはオタク我儘が過ぎる。すみません。


 ひとり離れていく彼がついいつものようになんの連絡もなしに携帯電話の番号を変えても、「なんとかして探す」って言ってくれたから、きっと探してくれるだろうから、オタクには見えないところでいいから、繋がっていてほしいし、繋がっていてくれると信じてます。


 初期のころはよく自分たちを家族になぞらえていたV6、20周年では「他人」「友達」「家族」「仲間」どれでも言い表せなかった6人が、最後のアルバムで「俺たちは家族」に戻ってきてくれたの、本当に嬉しかった。
 愛してるか聞かなくていいんだって。
 いつでも味方なんだって。
 尊さの極みかよ。
 6人がそうあってくれたらオタク、もうなにもいらない。
 嘘、たまにはオタクのことも思い出して、いつかの日を夢見させてほしい。

 

 最後に、この記事を読んでくれたどこかの沼のオタク、実家の沼も、実家じゃない沼も、いつかは乾いた土に戻る日が来るぞ。だからその日まで自分なりに沼を楽しむといいよ。
 後悔のないようにいつも全力で推しを推せるときに推せるだけ推したとしても、終わりの日には後悔で泣くよオタクは。寂しくて悲しくて辛くて泣くんだよ。
 好きだったのに、いまも好きなのに、後悔しない別れなんかないですよ。
 自分もすっきり見送る体で書いてますけど97%くらい解散撤回して続けてくれてもいいのにって思ってますし? 別に解散するって言ったからって本当に解散する必要ないのでは? 解散するってことはまた結成する可能性も全然ありますし?
 って、最後の日まで往生際悪く思ってるだろうし、11月2日からは必ず再会の日がくるって言い出す。
 そうこうしてるうちに新しい沼か旧知の沼に飛び込んで楽しくなって、ケロッとした顔で毎日過ごして、ふとした瞬間にもうない実家の沼を思い出してまた泣くんだ。

 

 きっとそうして自分は死ぬまで実家の沼を忘れないと思います。
 それで自担が先に死ぬ日が来たら、自担の名前を憶えている6人目でありたい。
 自分が先に死んだら葬式ではMUSIC FOR THE PEOPLEかけてほしいな。
 地獄に落ちなかったら、天国で6人が揃うの最前列で場所取りする。ヘタクソなうちわ作りながら待ってる。

 


 だから、22年間、ありがとう。すっごい楽しかった!
 
 

 あぁ、そうそう。
 V6が出演するバラエティ番組「学校へ行こう!2021」が10月26日(火)夜7時から3時間の生放送で放送されます。自分が沼に落ちたきっかけの番組が最後の復活!絶対に見てくれよな!!!TBSだぞ!!
 ちなみに10月5日からは毎週火曜にTVerParaviで傑作選の再放送もあるよ!!よろしくな!!!

 

 

オタクが心の実家をなくした話 完